特別講演「目の再生医療」

 

 

 京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞(人工多能性幹細胞)の作製に成功して以後、再生医療は新しい段階に入りました。とくに眼科領域での取り組みは目覚ましいものがあり、理化学研究所の高橋政代プロジェクトリーダーを中心としたグループによる加齢黄斑変性の患者へ世界初となるiPS細胞移植(2014年)、サルのiPS細胞から作った網膜組織を別のサルに移植して免疫抑制剤を使わずに拒絶反応を防いだ成功事例(2016年)は国内外から大きな注目を集めました。こうした一方、従来は困難とされていた重症の眼表面疾患の治療も再生医療によって着実に成果を上げています。


 大阪大学眼科学教室の学部内講師として「角膜疾患に対する診断と治療」に取り組んでおられる大家義則講師は、昨年10月に開催された『目のすべて展』(10月9~10日:大阪市北区・ブリーゼプラザ小ホール)での特別講演「目の再生医療」(同月10日)で眼疾患に関する再生医療の取り組みと治療の現況、さらには今後の可能性についてわかりやすく語られました。

 

* 当日に行われた大家講師の講演要旨を誌上に再録する形でまとめましたが、内容については再生医療の関連情報を適宜織り込んで再構成しました(編集部)。

 

 

従来の治療概念を大きく変えた再生医療


 最初に再生医療について簡単にご説明します。

 

 私たちの身体組織や臓器に損傷や機能不全が生じた場合、一般の医薬品等では根本的な治療が難しく、臓器移植による外科的な治療手段を用いる以外に方法がありません。しかしながら移植医療には他人から提供を受けることに伴う拒絶反応、ドナー(臓器提供者)の不足という難題が常について回ります。こうした問題点を克服する技術として登場し、広く注目されることになったのが再生医療です。


 具体的に申し上げれば、患者さんご本人あるいは組織提供者から採取した細胞や組織を生体外の環境で培養し、それを患者さんに移植して機能を修復・再建するものです。従来のように医薬品や外科手術とは無縁のものですが、これによって根本的な治療への道が拓かれるだけでなく新しい治療法として確立できる可能性があり、そういう意味ではこれまでの治療の概念を大きく変えるものといってよいでしょう。


 もちろん新しい治療概念であり、安全性の確保は言うまでもなく有効性に関するチェックは欠かせません。しかしながら再生医療の確立とその展開に向けたこうした動きは今後とも強まることが予想されます。

 

 

再生医療をめぐる市場規模

 

 再生医療という考え方の基本となっている『ティッシュ・エンジニアリング』が米国のジョセフ・ヴァカンティ医師によって提唱されたのは1993年のことです。ティッシュとは人の身体の組織、エンジニアリングは工学や工業技術のことで、ティッシュ・エンジニアリングは『機能を失った臓器や組織の代替品を、生命科学と工学をうまく組み合わせて作り出す考えのこと』とされています。


 それから23年が経過していますが、この間には再生医療をめぐる状況も大きく変わりました。とくに国内市場規模は2012年で90億円だったものが2020年には950億円、2030年には1兆円にまで拡大すると予測されています。これはあらゆる臓器を対象とした再生医療の拡がりを前提としているものですが、同時にそれによって多くの人が恩恵を受けるであろうという予測にもつながっています。

 もちろん、日本だけでなく欧米やアジア各国においても再生医療の取り組みは加速しています。

 

 

角膜移植における問題を克服

 

 現在、世界的に見ても眼科領域における再生医療は進展しつつありますが、私が専門としている角膜疾患に関する再生医療についてお話しします。

 

 角膜というのは目の最も前の真ん中にある透明な膜のことで、外界から入ってきた光を屈折させて網膜に焦点を合わせて像を鮮明に映す役割を果たします。黒目といえばお分かりいただけるでしょうか、カメラでいえばレンズのようなものですね。


 構造的に言えば角膜は外側から上皮、実質、内皮の3層になっています。この角膜上皮の幹細胞(上皮細胞のもとになる種のような細胞)は角膜と白目と呼ばれる結膜の間の輪部に存在します。

 

 この幹細胞は増殖して剥落を繰り返し、そのつど新しい細胞が生まれ、それによって角膜の透明性を確保して正常な視力が保たれるのですが、先天性の無虹彩強膜化角膜などの発生異常、粘膜皮膚眼症候群ともいわれて急激に発症する皮膚・粘膜の炎症性疾患であるスティーブンス・ジョンソン症候群、強いアルカリ性や酸性物質、有毒物質などが目に付着するなど化学腐食による外傷によって角膜上皮幹細胞が機能不全に陥ると周辺の結膜が血管を伴って侵入して角膜の透明性が失われて『角膜上皮幹細胞疲弊症』と呼ばれる状態となり、その結果として視力の低下や失明を招くことになります。


 このような角膜内皮障害に対する外科的な治療としては角膜移植しかありません。角膜移植は亡くなった方の健康な角膜を病気や傷害のある角膜と取り替える治療方法ですが、治療成績はあまりよいものとは言えず、たとえば移植した細胞がどれくらい残っているかというと1年で半分ほどになり、3年後には4分の1ほどに減ってしまいます。

 

 阪大の治験例でも3年経過すると半減という結果が出ています。つまり移植時点の状態を維持することが難しいんですね。この原因は患者さん本人のものとは違う組織が移植され、それによって起こる拒絶反応にあることは先ほど申し上げた通りです。


 拒絶反応が生じて十分な治癒効果が期待できないのであれば患者さん自身の細胞を移植すればいいのではないか? ご自身の細胞なら身体が拒絶することはないからです。しかも、この方法であれば患者さんがドナーともなります。拒絶反応の解消とドナー不足を一気に解決することになるわけですね。角膜上皮再生医療はこうした発想を背景にして始まったと言ってもよいでしょう。

 

 

細胞シートによる移植へ


 ただ、ここで問題となるのが片眼性の疾患か両眼性の疾患か、ということです。片眼性疾患であればもうひとつの健常眼には幹細胞が残っていますから、それを使えばいいわけです。しかし、実際には片眼性疾患というケースは少なく、スティーブンス・ジョンソン症候群のように両眼性疾患がほとんどです。当然のことですが、この場合は患者さんの眼から角膜上皮の幹細胞を取り出すことはできません。


 そこで両眼性疾患であれば角膜上皮幹細胞の代用として患者さんの口腔粘膜の上皮幹細胞を体外で培養して移植する方法が考え出されました。自家培養角膜上皮細胞移植というのですが、1997年にイタリアのグループが臨床例を初めて報告しています。100以上の移植例があって成功率は76%とされ、きれいな角膜ができたそうです。
 次の段階で登場したのがポリマーなどの温度応答性高分子を用いて、角膜上皮組織に類似したシート状の組織を培養系で作製する方法です。


 わかりやすく申しますと、ヒトの角膜上皮層に類似したシート状組織を生体外で作成するものです。温度応答性ポリマーはある一定の温度(37℃)になると疎水性、すなわち水に溶けにくくなって細胞は培養床に接着しますが、それより低く(32℃)なると今度は親水性、つまり水に混ざりやすくなるのでポリマーが膨潤し、細胞は培養床より自発的に脱着しますので、この性質を利用して温度を下げるだけで細胞シートは剥離し、回収することが可能となります。

 

 いまではこの細胞シートを用いた角膜上皮の移植などが多施設臨床研究で実施され、成果を上げています。
たとえば、いったん機能を失うと戻らなかった角膜疾患ですが、濁った角膜を取り除いて角膜細胞シートを張り合わせることで失明状態にあった患者さんの視力が0.8に回復し、あるいは自己免疫疾患で結膜の炎症によって失明の危険もある眼類天(がんるいてん)疱瘡(ぼうそう)の患者さんの場合、0.01だった視力が0.07にまで戻ったという事例があります。

 

 

iPS細胞を使った角膜上皮の再生医療

 

 次にiPS細胞による目の再生医療についてお話しましょう。
 

すでにご存じと思いますが細胞の初期化を誘導するものとして山中伸弥教授グループが特定した4つの因子があります。これらは山中4因子とも言い、特定の体細胞に分化して多能性を失った成熟細胞にこの4つの遺伝子を導入すると全身のさまざまな細胞に分化できる状態になることから万能細胞と呼ばれています。


 もうひとつ、万能細胞として知られているものにES細胞(胚性幹細胞)があります。こちらは受精卵が由来となったもので胚の内部細胞塊を用いてつくられた幹細胞ですが、ヒトへの応用は倫理上問題があること、他の人の受精卵由来ということもあって患者さんと遺伝子型が一致することはまずありませんのでどうしても拒絶反応が起こります。そのため細胞移植医療に応用しようとしても難しく、再生医療ではiPS細胞が主体となりつつあります。


 先ほど口腔粘膜の上皮細胞を代替細胞として移植する再生治療法をご紹介しましたが、その後、自家培養口腔粘膜上皮細胞シート移植の開発と臨床応用治療法によって従来の角膜移植術に比較して良好な成績が得られるようになりました。

 しかし、一方では角膜内への血管侵入が生じ、それによって角膜が再混濁する例があることなどが長期にわたる経過観察で明らかになってきました。これは角膜と口腔粘膜の性質差によるものと思われますが、患者さん自身の細胞から角膜上皮細胞を作成することができればこの問題も解決できます。


 そこで注目されたのがiPS細胞です。iPS細胞はあらゆる細胞系列へ分化可能な多能性を持つだけでなく、拒絶反応を回避することが可能な自家細胞源にもなり得るので難治性の角膜疾患に対する再生医療のための細胞源として期待されています。


 私が所属する大阪大学大学院医学系研究科脳神経感覚器外科学(眼科学)では2016年にヒトiPS細胞から眼全体の発生再現と角膜上皮組織の作製に成功しました。これによってiPS細胞を用いた角膜上皮再生治療法のヒトでの応用に大きく貢献すると期待されます。現在は研究の最終段階に入っており、2017年にはひとつの目途が立つのではないでしょうか。

 

 

再生医療を普遍的治療に ~OSAKA宣言2016

 

 最後に『OSAKA宣言2016』についてご紹介します。

 

 これは日本再生医療学会が2016年3月に発表したものですが、そこではこう述べられています。
『もはや再生医療を新しい革新的な治療法としてその可能性を模索する時代は過ぎ、より多くの患者さんが等しくその恩恵を享受することのできる「普遍的な治療」としての地位を築く時代に突入しなければなりません』


 『再生医療学会は、「治験」とともに「臨床研究」でのエビデンスを生かし、再生医療を安全・有効かつ迅速に普遍的医療につなげることができるようなシステム作りを提唱していきたいと考えています』


 『日本再生医療学会は、医学的・科学的根拠に基づき、実践の中で蓄積される安全性と有効性に関するエビデンスに真摯に向き合い、誰もが安心して享受できる再生医療を確立すること、さらに、それを広く日本の国民と世界に発信していくことが学会の使命であると考えています。そして、この使命を会員の共通の目標として確認し、遂行することをここに宣言します』


 眼科領域においてはもちろんのことですが、わが国の再生医療はかつてのように特別なものではなく普遍的な医療技術へと確実に進展しています。そのことについて皆様のご理解をいただけたらありがたく思います。

 

 

大家義則講師の経歴
2001年に大阪大学医学部を卒業後、同大学医学部附属病院眼科研修医、2003年に大阪労災病院眼科医員を経て、2015年から大阪大学医学系研究科脳神経感覚器外科学(眼科学)学部内講師。専門は角膜疾患と再生医療。「培養口腔粘膜上皮細胞シート移植による眼表面再建術のトランスレーショナル・リサーチ(基礎から応用・創薬へと繋ぐ橋渡し研究)」により2015年度日本角膜学会の学術奨励賞を受賞。

 

 

当日、会場には高齢者を中心に多くの人が詰めかけた