第1回 中皮腫の研究と治療

 

集学的治療で「中皮腫」治療にも効果的治療。

肺がんをはじめ急速に発展する医療。

その限界はあるのか。

長谷川 誠紀(せいき) 先生 兵庫医科大学付属病院 呼吸器外科教授〉

アスベスト(石綿)による「中皮腫」の研究治療では、日本でトップレベルの兵庫医科大学付属病院呼吸器外科。長谷川誠紀教授に、その原因・治療、また呼吸器治療の進歩、医療の展望などについてうかがいました。



肺を取り巻く膜にできるがん、
労働災害から公害病に


――「中皮腫」というのはどういう病気なのですか。

長谷川 兵庫医科大学付属病院 呼吸器外科での手術は、肺がんが3分の1、3分の2がそれ以外の呼吸器の病気。その中で、特に「中皮腫」では日本のリーダーシップ的役割です。

「中皮腫」というのは肺の外側の、昔は肋膜(ろくまく)といっていた 「胸膜」にできるがんです。今から8年前、尼崎のクボタの工場の近所に住んでいる住民の中に、中皮腫が非常に多発していて、調べてみると、クボタの工場からずっと同心円状にそういう人たちが広がって、工場で働いたことのない主婦にも、発生していたのです。住民が非常なショックを受けて大問題になり、中皮腫が俄然注目されるようになりました。

中皮腫は昔から、アスベストで起こることが多いと私達は習ってきましたが、アスベストを触る特殊な産業に従事している人の「労働災害」の一種との認識でした。珍しい病気で、数も多くありませんでした。

ところがクボタショックの時から中皮腫の認識が「労災」から一般市民にも影響がおよぶ、「公害病」に変わりました。尼崎はクボタ、ニチアスなどアスベストを使用する企業が多い地帯で、大量のアスベストが、空気中にもばら撒かれていたのです。

兵庫医大のある西宮市は尼崎のお隣で、以前から中皮腫の患者さんの研究・治療に出ていたのですが、クボタショック以後全学を挙げて対処しています。

――「中皮」というのは、どこのことですか。
長谷川 肺の外側と胸の壁の内側は、「胸膜(肋膜)」が覆っています。サランラップみたいな薄い袋状の膜で、中が閉じられた空間になっています。この胸膜をつくっているのが、「中皮」という細胞です。心臓・肺・消化管などにも同じ構造の膜があります。心臓・肺・消化管は伸縮や蠕動を繰り返すので、常に他の部分とこすれ合うのでその接触を潤滑にするために、この膜があるのです。

この胸膜にできるがんが、「中皮細胞」にできたがん「中皮腫」です。腹膜や心膜にも中皮腫ができることもありますが、一番多いのは胸膜です。


――アスベストを吸い込んで、どうして胸膜にがんができるのですか。
長谷川 アスベストは土中から取り出される鉱石で、ミクロのレベルの非常に細い針状・繊維状の物質です。

多くの異物は、肺の中まで入ってくると、貪食(どんしょく)細胞という、異物を食べる細胞に食べられてしまいます。ところが、アスベストは熱にも酸にも力にも強いので、貪食細胞が食べようと思っても消化できない。

そこで、肺に吸い込まれると、肺の末端の肺胞の奥までどんどん行って、さらに肺の一番端っこ肺を覆っている胸膜まで行って、やがては膜を貫いて、中皮の袋状のところに入っていくのです。中皮には、お風呂の排水口みたいなところがあって、そこにアスベストが集まって、そこで反応を起こして、ついに中皮腫というがんになると言われています。



アスベストは、古代エジプトのミイラを覆い、竹取物語にも記述が


――なぜ建築などで、アスベストがよく使われたのですか。
長谷川 人間にとって非常に役立ちます。柔らかくて、軽くて、熱・酸などほとんどのものに強く、布状にも繊維状にもどんな形にもなります。理想の鉱物で、非常に古くから人類と関わっています。

古代エジプトのミイラを覆っているのはアスベストの衣、『竹取物語』の「火鼠(ひねずみ)の衣」という燃えない衣もアスベスト。平賀源内がつくった燃えない布「火浣布(かかんふ)」もアスベスト。

ほんの少し前までは、私達の身の周りのいろいろなものに使われていました。蚊取り線香の缶の裏のマット、石綿付き金網、トースターの電熱の裏打ち、日本酒を漉すフィルター。車のブレーキのパッド。工場のパイプを覆う膜などには耐火構造物としてアスベストが推奨されてきました。

人間にとって他の物質と比較できないほど都合のいい、安価な夢の鉱物だったのです。アスベストがよく使われたころは、アメリカにアスベスト鉱山で栄えた「アスベスト・タウン」と呼ばれる一帯すらできました。

ところが都合の良いところが、全部裏返しになって、人間が吸った時に、人間の体では処理できなくてがんができてしまうのです。


――このような物質はアスベストだけなのですか。
長谷川 天然物ではありませんが、人工物で同じような物質が作られ数奇な運命をたどっています。世界で初めて日本で発明された、極細の繊維「カーボン・ナノチューブ」です。アスベストと同じく、熱・酸・電気にも強くて安価、どのようにも加工できる物質です。

「宇宙エレベーター」と言って、たとえば地球と月との間にエレベーターをつくって宇宙船でなくて、それで行こうという話がだいぶ前からあります。その時に「宇宙エレベーター」を吊りあげるファイバーは、「カーボンナノチューブ」で、という話になっています。それくらい強靭な物質なのですが、カーボンナノチューブもアスベストと同じ太さ・細さのものは中皮腫を発生させます。カーボンナノチューブも「これこそ未来の鉱物素材」とブームになりましたが、今は危険性もまた注目されています。

人間にとって非常に都合の良い性質が、逆に都合が悪くなる興味深い例です。


――古代エジプト、竹取物語の時代からあったのに、それが人間の体に入ってがんをつくることが、最近になって顕在化してきたのはどうしてですか。
長谷川 一つは規模の問題。工場などで大々的にたくさん使って、近所にばら撒くのは19世紀以降。昔は少量でした。

もう一つは、アスベストを吸って中皮腫ができるのに、潜伏期が25年とか35年とかいわれています。昔の人は人生50年ですから中皮腫になる前に亡くなっていました。最近ではみんな長生きになって中皮腫が発症するようになってきたのです。

――次回へつづく。


長谷川 誠紀 先生略歴
昭和58年京都大学医学部卒。
米国ワシントン大学胸部外科で肺移植を研究。
国立姫路病院呼吸器外科、
市立長浜病院呼吸器科、
京都大学呼吸器外科助教授などを経て、
平成16年現職。