第2回 中皮腫の研究と治療

 

抗がん剤・手術・放射線、

病院中のすべての力を結集して
「胸膜肺全摘出手術」による、中皮腫の治療が可能に

長谷川 誠紀(せいき) 先生 兵庫医科大学付属病院 呼吸器外科教授〉

――「中皮腫の治療がかなり進んできたとのことですが。

長谷川 かなり前から「中皮腫」という病気は知られ、アスベストが原因ということもわかっていました。しかし1990年ぐらいまでは、ほとんど治療法がありませんでした。抗がん剤もほとんど効かない、手術をしても全然だめ、とほとんど見捨てられていました。
日本よりもはるかに、アスベストをたくさん使ってきたアメリカが、その被害をもっとも被り、ありとあらゆる治療法を試みましたが、もうほとんど治療をあきらめられていた病気でした。

ところが1990年代半ばになって、手術・抗がん剤・放射線など、あらゆる治療法を一つのがんに適用する「集学的治療」で治る患者さんが出てきました。当時は若干の延命効果が得られる程度でしたが、現在兵庫医大での5年生存率が、30数パーセントぐらいですから、何年か前の、中ぐらいの進行度の肺がんレベルになりました。

治療で早く亡くなる人、長生きする人のちょうど真ん中の人の生存期間を「中央生存期間」と言いますが、兵庫医大で手術を含む集学的治療を受けた患者さんの中央生存期間が39ヵ月ぐらいにまでなりました。約6年前に、中皮腫の治療研究に、科学技術振興調整費というかなり大きな予算をいただいて多施設共同チームで取り組んだ中皮腫プロジェクトが今ようやく少し成果を挙げつつあるところです。


――まったく治らなかったがんが治ってくる要因はどこにあるのですか。

長谷川 抗がん剤・手術・放射線、その他の治療を集中する「集学的治療」の結果です。

化学療法では、数年前に開発された抗がん剤の「アリムタ」が大きな力になりました。

手術では、肺・横隔膜・胸膜全部を取ってしまう「胸膜肺全摘出手術」の発達です。
非常に大きい手術で、死亡率も高く大きな機能障害が残ります。
1990年代前半には術後30日以内に亡くなる「手術死亡」が、20%~30%でしたが、最近は5~10%ぐらいになりました。肺がんの手術のすべての成績が上がり、その結果、もっと大きな手術である「胸膜肺全摘出手術」の成績が上がったのです。

現在では肺を温存しつつ胸膜肺全摘出手術と同レベルの治療効果を目指す「胸膜切除/肺剥皮術」のオールジャパン臨床試験も進行中です。

――肺がん手術の成績はどれくらい上がったのですか。

長谷川 肺がんの標準手術は、5つの肺の1つを切り取る「肺葉切除術」ですが、現在我が国の肺癌手術の死亡率は0.3%ほどです。これより大きな手術である肺全摘手術(片肺をすべてとる)では、1.9%です。欧米の死亡率の1/2から1/3という、非常に素晴らしい数字です。


――放射線ではどのような進歩があったのですか。

長谷川 今までの放射線治療は一か所から当てるだけだったのですが、コンピュータの使用で、最近はIMRTという、放射線のビームをいろいろな強さに変えて、いろいろな方向から当てることで、取ってしまった肺の接していたところだけドーナツ状に当てるなどの技術がどんどん良くなってきました。

すべての技術と医師・技師・看護師、病院中のすべてが全体として底上げされてその結果として、中皮腫手術の成績が上がり、中皮腫が治るようになったのです。


10年、20年後にピークを迎える日本、さらに発展途上国でも

――中皮腫は、高齢化社会とともに増えてくるといわれていますが。

長谷川 中皮腫は潜伏期が25年から35年。日本の中皮腫の患者さんが一番ピークに達するのが、2025年から2030年ぐらいですから、まだこれからです。禁止するのが遅かったからです。少し前まで日本の中皮腫患者さんは年間1,000人ぐらい。2025年から2030年ぐらいにピークが来て2,000人ぐらいになるだろうと予想されています。
アメリカは、もうだいぶ前に禁止したので、すでにピークを過ぎています。ヨーロッパがちょうど今がピークか、過ぎつつあるかぐらい。

――日本は気がつくのが遅かったのですか。

長谷川 気がついていたけれど、規制が遅れたのです。

産業界にとっては特にコストの面で非常に都合の良い素材でした。アメリカでは大訴訟が起こって多くの企業がつぶれました。インド、アフリカ、中国などではまだ規制や予防策も遅れておりこれから増加すると予想されています。日本もかつてはそうでした。私は西宮市の出身で、子供の頃に空き地に遊びに行くと、よく建材が捨ててあって、アスベスト(?)もそのへんに落ちていて、子どもたちは手でつかんで「サンタさんのおひげや」とか言って遊んだ思い出があります。
同じことが発展途上国では、多分当たり前に起こっているでしょう。それらの国では中皮腫がこれから増えていくと思います。


医療の進歩・発展はどこまで。誰かがどこかで止めなくては…

――呼吸器のがんをはじめ、あらゆる分野で信じられないほど、治癒率が上がってきています。その原因、そしてこれからどうなって行くとお考えですか。

長谷川 私は兵庫医大に来る前には、京都大学で肺の移植をしていましたが、当時は移植が始まったころで散々たたかれました。脳死という、生きているかもしれない人から臓器を取り出してもいいのか、密室でフランケン・シュタインをつくるみたいなことを許していいのか、とか。でも今は一般的に認知され、それと同時にどんどん治る病気が増えました。

肺がんでも、25年ぐらい前の私がまだ駆け出しのころには、まだCTがなくて早期発見が難しく、肺がんの手術をしてもすぐ再発して亡くなる患者さんが多かったのです。看護師さんが本気で「先生、すぐ再発して亡くなるのだから、手術なんかやめたらいいのに」と言う時代でした。

しかし今、肺がんは、早期発見の人から進行がんの人まで、全部トータルしても、手術で7割が5年生存、つまり治るのです。初期では、8割、9割が治ります。すべてのがんが10年、20年前に比べたら全然違ってきました。

がんだけでなく、医学の分野では、10年前と今では大きく変化しています。医学だけでなくて、どの分野もそうなのですが、医学の分野は特に顕著です。命の問題ということで、国も個人も損得だけではなくお金をかけられるので、進歩しやすいのです。他の分野ではコストパフォーマンスを考えますが、命の問題は、お金には代えられない価値があると考えられるのでしょうね。抗がん剤も副作用も低く、よく効くようになりました。私達医師が研修医だった時代は、「こんな治療は受けたくないな」と思っていましたけれど、今だったら「これは受けてもいいな」というレベルの抗がん剤が増えてきました。


――医療がどこまで進歩するのか、どこまで進歩は許されるのかという問題があると思いますが。

長谷川 どこまで進歩してもこれでゴールということはないでしょう。人間の欲望として、やはり長生きしたい、健康でいたい、より良く生きたいという欲求は無限です。究極必要な技術があればどこまでも行ってしまいます、誰かが止めない限りは。しかし、もう一つ大切なのは生命倫理の問題です。医学や技術が倫理の壁を越えないようにコントロールして行くのが人間の知恵ではないでしょうか。


――誰が阻止できるのでしょうか。

長谷川 国民の声の代表としての政府でしょう。誰かが基準を持って、「もうこれ以上はやめなさい」と言わなければなりません。「なぜですか」と言われたら、「だめなものはだめ」とか決める以外にないのではないでしょうか。ただし、賛否が分かれる問題について、長く議論を続けて行く姿勢もまた必要だと思います。


――ありがとうございました。



長谷川 誠紀 先生略歴
昭和58年京都大学医学部卒。
米国ワシントン大学胸部外科で肺移植を研究。
国立姫路病院呼吸器外科、
市立長浜病院呼吸器科、
京都大学呼吸器外科助教授などを経て、
平成16年現職。