タヒチ 仏領ポリネシア最大の祭りHeiva I Tahiti

『写真提供:ペリカントラベルネット タヒチ店』

ヘイバ・イ・タヒチ(HEIVA I TAHITI)=ヘイヴァ祭りは、6月から7月下旬まで約2ヶ月間にわたり開催される仏領ポリネシア最大のお祭り。中でも最大のイベントは、週末に開催されるタヒチアンダンスと歌のコンテスト。会場はパペーテのトアタ・スタジアムで、50人から大きなものは200人ものダンサーにより、迫力と感動のステージを披露します。期間中はカヌーレースなどタヒチ独特のスポーツなどのコンテストも繰り広げられます。またタヒチ(フランス領ポリネシア)各島の伝統工芸品なども展示されます。



ヘイバ・イ・タヒチの歴史

1815年にタヒチに王朝を築いたポマレ2世は、タヒチ統一前、島々の首長との戦いに連戦連敗、大苦戦していました。神々への信仰が深かったその時代、ポマレ2世は「ポリネシアの神々は我を見限った」とし、当時イギリス・フランスから来ていた宣教師の説く新しい信仰・キリスト教に改宗します。そして首長たちを打ち破り、タヒチ最初で最後の王朝を打ち建て、国教としてキリスト教を定めました。 ところが1819年、そのキリスト教の規範(モラル)によって、肌を露出して激しく腰を振るタヒチアンダンスは、公序良俗を乱す淫らなものとして、法律によって公共の場で踊ることを禁止されてしまうのです。それに伴い、多くのタヒチ伝統芸能(歌など)も禁止されてしまいました。

60年の時が流れ、1880年、時の王ポマレ5世がタヒチ統治権をフランスに譲渡、ポマレ王朝は最期を迎え、タヒチは正式にフランス共和国の一部となりました。その影響で翌年1881年7月14日、フランス革命記念日がタヒチで初めて祝われます。この日、フランス政府はタヒチ芸能を規制する法律を撤廃。タヒチにとってまさに歴史が動く1日となりました。その年からタヒチでは7月がお祭りの季節となり、さっそく同年に7月のお祭り(当時はタヒチ語で7月を意味する「Tiurai」がそのままお祭りの名前となりました)が始まりましたが、コンクールは歌のみでした。

ダンスコンクールは20世紀になってやっと開催されます。実に80年の長い間、日の目をみることが無かったのでした。今日では、Heiva I Tahitiと言えばダンスコンクールがメインです。そしてタヒチNo.1の名誉をかけて最大120人のダンサーたちが華麗なダンスを繰り広げます。

『情報提供:ペリカントラベルネット タヒチ店』 http://www.pelican-travel.net/tahiti/



タヒチ島とその島々の正式名称は「フランス領ポリネシア」で、南太平洋に広がる118の島々が5つの諸島群を形作ってます。(ソシエテ諸島、ツアモツ諸島、マルケサス諸島、オーストラル諸島、ガンビエ諸島)タヒチ島、モーレア島、ボラボラ島、タハア島があるソシエテ諸島、ランギロア島、マニヒ島などがあるツアモツ諸島が有名です。首都はパペーテ。画家ゴーギャンが晩年移り住んだ島としても有名です。

位置:日本(東京)から9,500km離れています。日本から直行便で約11時間の距離。


<ボラボラ島>


美しく、無限とも思われるブルーラグーンのグラデーションとそこに映える神々しいオテマヌ山の景色から太平洋の真珠と称されています。
美しいラグーンには水上バンガローが並び、大切な人とロマンチックなひとときを過ごしたいというハネムーナに人気の高い島です


お薦めホテル 
セントレジス・リゾート・ボラボラ

最高級ホテルの名にふさわしく、ラグジュアリー度は満点。 広さ1200平米を超えるロイヤルエステートというカテゴリーがあり、セレブリティが多く訪れることでも有名。

『写真・情報提供:ペリカントラベルネット タヒチ店』http://www.pelican-travel.net/tahiti/