第8回臨床ゲノム医療学会

先制医療としてのゲノム予防医学・歯学への展開

 

「第8回臨床ゲノム医療学会―大阪学術大会―」

 

特別基調講演 京都大学 名誉教授 井村裕夫 先生
  特別講演 大阪国際がんセンター総長 松浦成昭 先生
  特別講演 網膜再生医療研究開発プロジェクタリーダー
                 髙橋政代 先生
大会長 大阪歯科大学理事長・学長 川添堯彬 先生

一人ひとりの人間が持つゲノム(生物個体としての遺伝情報)を診断や治療に活用する「ゲノム医療」は近年、著しく進展しています。平成30年12月9日、大阪市中央区の大阪歯科大学創立100周年記念館で、「先制医療としてのゲノム予防医学・歯学への展開2018」をテーマとして「第8回臨床ゲノム医療学会―大阪学術大会―」が開催されました。京都大学元総長の井村裕夫博士や理化学研究所プロジェクトリーダーの高橋政代博士など、さまざまな分野の第一人者たちが講演を行い、多くの来場者が熱心に耳を傾けました。

 

 ◆特別基調講演「医療の新しい動向―精密医療(プレシジオン・メディシン)と先制医療―」

(京都大学元総長・井村裕夫博士)

 

本日は、日本の医療の新しい動向である「精密医療(プレシジオン・メディシン)」と「先制医療」についてお話します。いずれもゲノム情報に基づいて研究する領域です。21世紀の医学は非常な勢いで進歩していますが、ひとつの大きな特徴はゲノムに基礎を置く医学であり、これがプレシジオン・メディシンと呼ばれるものです。

 2015年、米国のオバマ大統領は以下のように述べました。従来の医療は平均的な患者さんに向けたガイドラインに基づくものであり、これは現在も医学の主流だが、これからは個々人の遺伝子や環境、ライフスタイルなどの素因に基づいた個別化の医療を行わなければならない。これがプレシジオン・メディシンと呼ばれ、たくさんの予算がつくことになりました。

 このプレシジオン・メディシンは、おそらく3つのステップで進むと私は考えています。まず、「がん」です。がんは基本的に遺伝子の異常が原因となりますが、分子標的薬や免疫療法など、がんのプレシジオン・メディシンがまず先行するだろうと予想されていました。事実すでに先行しており、日本でも病院でがんのゲノム情報を調べる時代が到来しつつあります。その次は単一遺伝子疾患で、ひとつの遺伝子の異常によって生じる病気です。最後は多因子疾患で、これは我々が日常の臨床で診るような糖尿病とか高血圧、心臓病などです。

 まず、「プレシジオン・オンコロジー」ですが、これは慢性骨髄性白血病が始まりです。1960年代、米国で患者の90%以上に染色体異常が見つかり、そこに「BCR-ABL」という遺伝子があったのです。これが細胞の異常な増殖といったがん化を引き起こすので、BCR-ABLの作用を抑える薬が開発され、このがんを治療できるようになりました。その後、いろいろながんを起こす遺伝子の異常が見つかって、それに対する薬が開発されました。例えば、肺の腺がんなどでは、まず遺伝子の変異を調べて薬を選ぶという時代になりつつあります。

 こうしたプレシジオン・オンコロジーは、今後ますます進んでいくことは疑いありません。今までは、肺がん、口腔がん、食道がんというように臓器ごとに診断や治療を行っていましたが、これからは遺伝子を解析してどんな異常があるかを考えながら治療を選択するようになるでしょう。

 第二に、単一遺伝子病の精密医療です。ひとつひとつの病気の患者数は少ないが、種類が非常に多い。ゲノム研究の進歩によって、どんどん突然変異が明らかになってきています。患者数が少ないのであまり治療薬が開発されていませんが、これからは遺伝子治療の研究が進むでしょう。例えば、アフリカに多い鎌状赤血球症という病気は赤血球タンパク質の異常によって子供のうちに死んでしまうこともあります。こうした患者さんでは、骨髄から造血幹細胞という血液を作る細胞を取ってきて、遺伝子治療を行うというのが有効です。

 そして、次は多因子疾患。誰もがかかるような糖尿病、高血圧、心臓病といった病気です。これらの遺伝素因は複雑で、まだよくわかっていません。環境の影響が大きく、加齢が関係することも多い。いわゆるエピジェネティックな変化も十分に解明されていない。こうした病気の遺伝素因を調べるには、我々のゲノムにある一塩基多型を見るとか、次世代シークエンサーで全エクソンを解析するといった方法があります。最近は今まで分からなかったことが少しずつ明らかになってきましたが、それですべてが説明できるわけではありません。

やはり、これらのありふれた病気は環境素因が大きく影響する。しかも、それは大人になってからだけでなく、母親のお腹の中にいる時から影響があるというのが、だんだん分かってきました。有名な例が、オランダの「飢餓の冬」と呼ばれるものです。第二次世界大戦の末期、ナチス・ドイツ占領下のオランダで大変な食糧危機がありました。その後の報告によると、飢餓の後に生まれた赤ちゃんは、それ以前の赤ちゃんに比べて平均200グラム以上、出生体重が少なかった。そこで、オランダ政府は「飢餓コホート」という名前をつけて、これらの子供を現在も追跡しています。そうすると、20歳ぐらいで統合失調症、40代ごろになると心筋梗塞や糖尿病、高血圧、腎機能低下といった問題が出てきました。

すなわち、胎生期に貧しい環境だと、生後も同様の環境に置かれる可能性が高いので、そのようにプログラムされる。こうした子供は一般に体格が小さいけども健康である。一方、胎生期に豊かであった子供は体格が大きく筋肉が発達し、やはり健康である。問題は、貧しい環境で生きるようにプログラムされた子供が急に豊かになると、肥満や糖尿病、高血圧などの問題が生じるのです。こうした現象は、エピジェネティックなプログラムで説明できると考えられています。エピジェネティックな変化は非常に複雑で、現在まだ研究が進行中です。

 このように、いわゆる生活習慣病には遺伝素因が明らかに関係するが、何%かは分からない。胎生期の環境も、その後の環境も影響する。そうやって、少しずつ病気が進行して、あるラインを越えると発症する。発症してから正確な診断を行って治療法を選ぶのが精密医療ですが、まだ水面下にある時点で予測診断するのが先制医療です。

これまでは、みんなに「運動をしなさい」「タバコをやめなさい」などと言いましたが、先制医療では「あなたは心筋梗塞を起こしやすいからタバコをやめなさい」と言えるのが目標です。そのためにはさまざまな研究が必要で、ある程度は進んでいますが、まだ分からないことが多い。

 これからは、従来のような一般的、標準的な医療から、個別化あるいは精密医療、そして先制医療に進むことは間違いありません。それらによって、はじめて健康長寿が実現できるだろうと考えています。

 

 ◆特別講演「アイセンターでの網膜変性疾患遺伝子診断と先制医療」

(理化学研究所生命機能科学研究センター網膜再生医療研究開発プロジェクトリーダー・高橋政代博士)

 

   私たちは、眼で光を受け取る視細胞と、それをメンテナンスして維持している色素上皮細胞の2種類で、再生医療に取り組んでいます。最初は、視野の真ん中が見えないという加齢黄斑変性の患者さん。その原因は色素上皮の老化ですから、これを新しい細胞で置き換えるというものです。1例目の患者さんでは、本人の皮膚からiPS細胞を作り、色素上皮に分化誘導して、シート状にしたものを移植するという手術を行いました。移植したシートはずっと残っていて、その部分だけ視細胞があります。手術から4年後の現在も同じ状況です。

 自家移植の安全性が確認できたので、もっと多くの方を治療できるよう、HLA型をあわせた他家移植に入りました。京都大学のiPS細胞研究所で作っていただいた免疫反応を低く抑えることができる細胞を使っており、この1種類の細胞で日本国民の17%に適合します。5例の方に処置をして、まったく免疫抑制剤を使わずに移植した細胞が生着することを確認できました。このように、自家と他家の安全性が確認できましたので、現在は標準治療へ向けて多施設での研究をプランしています。

 次に、これらの経験を生かして、本丸とも言うべき視細胞の治療を計画しています。対象は「網膜色素変性」という単一の遺伝子変異による疾患。生まれた時は視細胞がありますが、どんどん変性して光を受け取る細胞がなくなるので、周りから徐々に視野が狭くなり、最終的に見えなくなります。視神経はちゃんと働くので、視細胞を補って光を取り戻すのが狙いです。

 ところで、教科書には「遺伝子の病気で、失明に至るが、治療法はない」と書いてあり、これをそのまま患者さんへ説明してしまいがちです。しかし、視野が少し狭くなっているが自分ではほとんど気づいていないという患者さんもいて、そういう方が「遺伝病です。失明します」と言われると、もうその日から絶望に陥ってしまうということがありました。これではいけない、医者のひとことがどれだけ大きいかということを伝えなくては、と思っています。

 たとえ治療法がないとしても、「何とか病気とつきあっていかなければならない」という気持ちになってもらうため、ずっと私たちは外来をやってきました。視覚障害は気持ちの問題でどうにでもなるところがあり、そのためのロービジョンケアは診断や医療と一体であるべきだと考えて、「神戸アイセンター」をつくりました。遺伝子診断では、正しい情報をお渡しするよう非常に気をつけています。そのためのチームを置いて、遺伝カウンセリングを行っています。情報提供だけでなく精神的サポートが大切で、心理カウンセラーもいます。

 この網膜色素変性の治療として、本当に一番の本丸と言うべきものが視細胞の移植です。理化学研究所では、iPS細胞から立体的な網膜をシャーレで作って、これをシート状にしてマウスに移植するという研究を、本当にコツコツと10年以上やってきました。ちゃんと成熟してホストの細胞とつながることも証明されており、来年から臨床に持って行こうと思っています。

 また、人工網膜といって、視細胞のかわりに光を受け取って電気信号にするチップを埋め込むものがあります。米国FDAが2年前ぐらいに認可して、すでに何百人にも移植されています。海外では遺伝子治療も進んでおり、いろいろなパターンがあります。ある種の遺伝子異常で起こる網膜色素変性は、正しい遺伝子を入れる治療がFDAの認可を受け、治るようになりました。

 今までは「もうしょうがないからね」と言っていたような病気が、「どの治療にしましょうか」と外来で話し合うという時代です。こうしたことを考えると、治療に直結する遺伝子診断が、これから非常に重要になっていくと考えています

 

 ◆これからゲノム診断が大きな流れに

 今回の大会長を務めた川添堯彬・大阪歯科大学学長は、「臨床ゲノム医療学会は、医師や歯科医師、コメディカル、工学、理学など幅広い方々が研鑚できるところ。将来に向けての発展が非常に楽しみです」とあいさつ。学会の理事長でもある渥美和彦・東京大学名誉教授も「ゲノム診断の現在と未来」と題して講演を行い、「これからは予防医療が非常に大きな流れになっていくと考えられる。そのために、ゲノム診断が広がっていくだろう」と述べました。

(了)