VR技術を活用した腹腔鏡手術トレーニング

 

バーチャル・リアリティ技術を活用した内視鏡手術のトレーニング

 

 安藤英由樹博士

(大阪大学大学院情報科学研究科准教授)

 

内視鏡手術は消化器疾患などの治療で広く行われていますが、確かな技術を持つ医師の養成が課題となっています。大阪大学大学院情報科学研究科の安藤英由樹准教授は、バーチャル・リアリティ(VR)の技術を応用して、効果的に内視鏡手術のトレーニングを行う装置を開発しました。熟練の医師が手術する様子を追体験できるといい、トレーニングの結果を検証したところ実際に効果があったとのことです。安藤先生にお話をうかがいました。

◆熟練の医師の手技を追体験―ⅤR技術を使った内視鏡手術のトレーニングとは、どのようなものですか。

 

安藤 モニター画面に、熟練の医師が手術をしている様子とトレーニングしている医師の手元が、ともに合成されて映し出されます。練習者は、熟練の医師による作業に自分の鉗子を重ね合わせる作業を繰り返し、実際に手を動かしながらコツを覚えることができます。これを何回も繰り返すことで、言葉ではなく体で理解できるのです。このシステムを「追いトレ」と名づけました。 現在、消化器などの手術はほとんど腹腔鏡で行います。開腹手術と比べて患者さんの負担は小さいのですが、医師にとっては大変な作業です。自分の目ではなくカメラで見ながら長い棒の先で手術をするわけで、非常に難しい。なかなか技術の養成ができず、熟練者が不足しています。 普通はドライボックスという模擬臓器を使った装置でトレーニングするのですが、時間がかかります。独習でも練習すると確かにうまくなりますが、模擬臓器は実際の手術と違うので、間違ったクセがついてしまうこともあるそうです。やはり、本当にうまくなるには上手な先生の動きを真似するのが望ましい。しかし、うまい先生の手術を見学する機会があったとしても、それをきっちり記憶して再現するのはなかなか難しいのです。数年前、ある大学病院では腹腔鏡手術を受けた複数の患者さんが死亡する事故もありました。詳しい事情は分かりませんが、うまくできる技術がないのに手術をやり続けていたということでしょう。

 ―どういった経緯で、この装置を開発することになったのですか。

安藤 もともと私の専門分野はVR技術で、それを活用して遠隔から心臓マッサージなどの救急救命をサポートする仕組みに使えないかといったテーマにも取り組んでいました。これを紹介するテレビ番組をご覧になった京都大学の坂井義治教授(消化管外科)から、「腹腔鏡手術のトレーニングに使えないか」とご連絡をいただいたのが始まりです。それが10年前ぐらいで、面識があったわけではなく、直接お電話をいただきました。それまで内視鏡手術のトレーニングに役立つという発想はなかったのですが、ぜひやってみましょうということになりました。本当の患者さんの手術時の鉗子やカメラの位置を計測するのは倫理的ハードルが高いので、研究開始時点ではアニマルラボで行ったブタの手術の映像を使用していました。熟練者が鉗子を動かしている様子や内視鏡カメラの動きを再現し、それに練習者が自分の鉗子を重ねる練習を行います。内視鏡手術の場合、カメラが奥に行ったり戻ったり、回転したりするので、それを再現するのが重要です。これを「追いトレ・アドバンス」と呼んでいます。映像にあわせてヘッドフォンから「これに気をつけて」「次はそこ」といった指示が流れます。最初はなかなか鉗子を重ねあわせられませんが、少しずつできるようになります。実際にやってみると、本当に手術をしているような感覚になりますよ。

 

―トレーニングの効果はいかがでしょう。

安藤 うまい先生が実際にやっている映像に練習者が自分の動きを重ね合わせることで、だんだんできるようになります。また、自分の動きが手本とずれていればすぐ分かるので、その場で修正できる。この装置でトレーニングした方は、例えば糸の引っ張り方などのエラーが少なく,動きもスムーズになります。言葉で説明するのが難しいような熟練の技術も、視覚的に重ねる作業を繰り返すうち、自然と身につけることができます。

このシステムで練習したグループとそうでないグループを比較し、日本内視鏡外科学会の技術認定医にブラインドで評価してもらったところ、結果に差が出ました。特に、手術のスピードや滑らかさが高得点だったほか、内視鏡を通じて臓器を見やすい場所で鉗子を操作しているかどうかという点も、よくできていました。

 このように、「追いトレ」に効果があると分かってきたので、次は実際の患者さんから同意を得て手術の映像を記録し、それを使った教材を今つくっているところです。また、どこがポイントなのかという部分を定量化して、いわゆる「コツ」が具体的にわかるようにしたいと思っています。

 こうした研究について、昨年12月に京都で開催された日本内視鏡外科学会総会で発表させていただきました。

―ほかの分野でも役立つのですか。

安藤 関西医科大学の先生と協力して、「外科結び」という縫合の技術を練習するシステムをつくりました。これは外科を目指す医学部の学生なら誰でもやるものですが、最初は難しくて苦戦することも多い。そこで、うまい先生が上手にやる映像に学生さんが自分の手元を重ねながら、どういうふうに糸をかけて、押さえながら回して、といった手技のコツを学びます。

この「追いトレ」システムで練習した2人と学習ビデオを見ただけの2人を比べてみたところ、やはり結果に差がありました。これはまだ人数が少ないのですが、効果があるだろうと考えています。

 また、小児外科の分野でも、模擬臓器を使った食道縫合の「追いトレ」システムをつくりました。この分野は手術の空間が極めて小さいため、非常に難易度が高い。大人ならドッヂボールぐらいある臓器も、ゴルフボールほどの大きさです。

 ◆言葉ではなく体でコツを覚える

―熟練の医師の手技をそのまま学ぶことができるのは大きな利点ですね

安藤 そこが重要だと思います。現場では、その先生が本当に上手だということをみんな知っているので信頼関係がありますし、学ぶ立場としてもモチベーションになります。どんな熟練の医師もいずれは引退しま

すから、技術の継承が必要です。

坂井先生の手術を実際に見せてもらいましたが、もう本当にすごい。日本でも何本の指に入るかという先生です。この教材のためにアニマルラボでブタの手術を行うところを拝見したのですが、血が一滴も出ません。どこをどうすれば良いかというのが、体に染みついているのだろうと思いました。

腹腔鏡の手術では腸を膜からはがす作業が重要ですが、本当にうまくやるとほとんど血が出ないのです。いくつか必ず止めなければならない血管はクリップで挟んで、それ以外はうまく避ける。そこで血管が傷つくと出血してしまいます。

 腹腔鏡手術などの分野では、若手の育成に苦労しているようです。今いる先生方が現役のうちは良いが、いずれリタイヤされますから、もしかしたら現場の医療レベルが下がってしまうかもしれない。いくつかの分野では、かつて可能だった治療ができなくなることも起こりうるのではないかといわれています。

 

―近年、外科手術におけるロボットの活用が急速に進んでいるそうですね。

安藤 「ダビンチ」ですね。これまでに日本全国で200台以上導入されていて、関西でも大学病院などにはだいたいあるようです。従来は前立腺がんのみ保険適用だったのですが、今年4月から胃がんなどに対象が広がったので、さらに利用が進んでいるのではないでしょうか。これは、医師が手元で操作した動きをロボットが術野で正確に再現するもので、完全に自動化されているわけではありません。

 このロボットも、内視鏡の場合と同じく、お腹に小さな穴をあけて手術を行います。現在はカメラを含めて5つの穴をあけますが、将来的にはもっと少なくなるでしょう。もっとも、現時点ではロボット手術が従来の治療より優れているというエビデンスはありません。ただ、内視鏡と比べてロボットの操作は医師の負担が小さい。長い棒の先で作業するより、手元でロボットを操作するほうがやりやすいのです。最近では、内視鏡手術は技術を習得するのが難しいので、ひと足飛びにロボット手術へ行こうという考え方もあるようです。

 とはいえ、ロボット手術を練習する機会は少ないので、メーカーが開設したトレーニングセンターは予約で一杯だそうです。こうした分野でも「追いトレ」が有効ではないかと考えているところです。

 

―最近は、医療の分野でもAI(人工知能)という言葉を聞くようになりました。

安藤 学会などでもAIをテーマにしたセッションがたくさん開かれています。内科などでは診断がAIで自動化されるのは目前だと言われており、多くの医師が関心を持っていると思います。ただ、そうなったとしても患者さんに納得してもらえるかどうかは別問題で、それはまだAIにできない。患者さんの信頼を得るというのは人間しかできません。そういうテーマを研究しているお医者さんもいますよ。

 VRは人間の感覚を解き明かす技術

―科学技術の進歩には驚かされます。

安藤 現在、私が担当している講座名は「人間情報工学」といい、つまり人間とコンピューターをつなぐインターフェースです。そのためには人間を工学的に理解しなければならない。「追いトレ」は、その応用です。そもそもVRとは、人間の感覚がどうやって成り立っているのかを解き明かす学問です。人間に物理的な刺激が加わると、どのように頭の中で感覚になるのか。現実をどのようにして感じているのか。その仕組みそのものを研究しています。

現実にないものをあるように感じさせる技術ですから、「経験」というものに結びついています。これをトレーニングに応用すれば、実際に経験していなくても上手になれるのです。例えば、難しい楽器の演奏や伝統芸能の習得を効率化することもできるのではないかと思います。

 また、電気的に感覚を生じさせる研究などもおこなっています。その一つ前庭電気刺激は人間の頭に弱い電流を流すことで、実際には動いていないのに加速度を感じさせることができます。平衡感覚の器官を操作しているのですが、ちょっと酔っぱらって足元がふらつくような感覚です。これは、例えばテーマパークのアトラクションなどで、従来はイスが動いたりしていたものに、より臨場感を与えることができます。

 そういったVR技術で内視鏡外科分野のトレーニングをお手伝いしています。ほかの分野でもご協力できることがあれば、ぜひ気軽にご連絡いただければと思います。

安藤英由樹博士の経歴

昭和49年、岐阜県生まれ。平成11年、愛知工業大学大学院工学研究科修士課程修了(電気電子工学専攻)。同16年、東京大学大学院情報理工学研究科にて論文博士(情報理工学)。理化学研究所ジュニアリサーチアソシエイト、NTTコミュニケーション科学基礎研究所研究員などを経て、同20年より大阪大学大学院情報科学研究科准教授。研究テーマは「ヒトの錯覚現象を利用したヒューマン・インタフェース」「バーチャル・リアリティ」「Wellbeingを促進させる情報技術」など。