第31回「日本臨床内科医学会」

iPS細胞はどこまで医療に関わることができるのか

 第31回「日本臨床内科医学会」

 

平成29年10月8~9日、「日本臨床内科医学会」が開催され、両日には1,700名余の医師、医療業界関係者、報道記者などが詰めかける盛況となりました(会場:大阪市中央区・ホテルニューオータニ)。

メインテーマは「新たなる臨床内科学の夜明け~看取りからiPSまで~」で、中でも関心が高かったのは山中伸弥先生高橋政代先生によるiPS細胞による治療や成果、今後の取り組みなどについての講演でした。両先生の講演要旨とともに学会長を務められた一般社団法人大阪府内科医会の福田正博会長を交えた鼎談についてもまとめ、当日の模様をお伝えします(文責・編集部/写真提供・日本臨床内科医学会運営事務局)。

 

【iPS 細胞研究の現状と医療応用に向けた取り組み】

 

京都大学iPS細胞研究所所長

教授 山中伸弥

 

「iPS 細胞はほぼ無限に増殖する自己増殖能と多分化能を有しており、遺伝的背景や個性の明らかにされている個人の体細胞から樹立が可能です。このため,細胞移植治療や病態解明,創薬応用などの幅広い医療分野への貢献が期待され,世界中の多くの研究者により研究が進められています。

現在,我々はiPS 細胞の医療現場での実用化に向けて安全かつ高効率な世界標準となりうるiPS 細胞樹立技術の確立を目指していますが、近時において染色体に取り込まれずに遺伝子を持続的に発現できるベクター(エピソーマルベクター:ベクターとは遺伝子の「運び屋」で様々な遺伝子を特定の細胞・組織に運搬して標的細胞内で効果的に発現させる能力を持つ物質)を用いることによって染色体を傷つけることなくiPS 細胞を作製する方法が確立してきました。

腫瘍化の原因とされるc-Myc(細胞の増殖、分化、腫瘍性疾患に関与するタンパク質)の代替にL-MYC 遺伝子を用いることで高い効率を確保しながら腫瘍化リスクを低減した樹立方法を提案しています。このほか、従来法で用いられてきたフィーダー細胞や異種生物由来の成分・材料の利用を避け、より規制に適合しやすいようにラミニンをベースとする培養基材やゼノ・フリー成分からなる培地が開発されています。

もっとも重要な品質管理に関してですが、神経分化に抵抗性を示すマーカーを見出し、これを用いることで再生医療等に使うiPS 細胞から品質の悪いiPS 細胞を除去できる可能性を示すことができました。

このように樹立方法に関しては安全性と効率の両面からの検討を進めながら大きな改善が行われているところです。

2014 年には理化学研究所の高橋政代博士らのグループによってiPS 細胞から作った網膜のRPE シートを移植して加齢黄斑変性に対する世界で初めての臨床研究が開始されました。これだけではありません、角膜疾患や血液疾患、パーキンソン病などiPS細胞を使った再生医療が一人ひとりの患者さんを対象に実施できる日も視野に入りつつあります。

こうした状況を見据えて、私たちは将来の細胞移植医療において臨床用として品質の保証されたiPS 細胞を迅速に提供することができるよう再生医療用iPS細胞ストックを作製するプロジェクトに取り組んでいます。日本人で高頻度に見られる免疫拒絶反応を起こしにくいHLA ハプロタイプをホモ接合体として持つドナー由来のiPS 細胞株を予め樹立しておくことを目的としたもので、 2015年8 月には,再生医療用iPS細胞ストックの医療機関や企業への配布を開始しました。

iPS 細胞のもう一つのアプリケーションとして期待されているのが希少疾患・難病の患者の皮膚などからのiPS 細胞を用いることで、従来の動物試験系よりも効果的な創薬スクリーニング・毒性試験や病態解明の礎を提供することです。

加えて個人のiPS細胞を用いて病態を事前に把握し、適切な治療を提供する「個別化医療」「先制医療」、従来の試験法では開発が中断されていた候補医薬品の再評価や他の病気に対する既存医薬品のドラッグ・リポジショニングの可能性など、さらなる新しい展開が期待できます」(要旨)

【iPS 細胞の網膜疾患への応用】

理化学研究所多細胞システム形成研究センター

網膜再生医療研究開発プロジェクトリーダー 

     高橋政代先生

 

「網膜は中枢神経の一部であり,網膜細胞が障害されると回復不可能とされていましたが、1990年代の中頃からの神経幹細胞,ES細胞,iPS細胞と続く基礎科学の進歩、最近では中枢神経を含め様々な組織の細胞移植による治療(再生医療)が将来における医療の大きな流れになると考えられるようになってきました。

古くから眼科領域は新しい治療法が最初に成功すると言われ、先ほど述べたES細胞,iPS細胞の移植も網膜から開始されています。

私たちは5 年あまりの実用化研究を経て、2016年にはiPS 細胞由来網膜色素上皮(RPE)細胞シートを滲出型加齢黄斑変性患者に移植しました。加齢黄斑変性という網膜色素上皮の老化によって引き起こされる疾患を、患者本人の若返った正常な組織で置き換えることは根本治療につながると考えます。

詳しく言いますと、1 例目に移植した自家細胞シートは手術後2 年半が経過した時点で免疫抑制剤を使用せずとも拒絶反応はなく、細胞シートの色調も変わることなく生着しています。全身的にも腫瘍は発生しておらず、視力は当初の予測どおり矯正視力で0.1を保っています。

これらは主に併用して行った脈絡膜新生血管抜去術の効果と考えられますが、重要なのはiPS細胞由来RPE シートによるもので、それによる視細胞の維持であると言ってよいでしょう。

自家RPE 細胞シートは科学的には最もよい治療材料ではありますが、課題となっていたのは莫大な作成コスト、手術法の難易度が高いということです。これらは当初から予測されたことですが、より広範な患者を対象とした治療法として確立するには、山中教授が計画しているHLA6座ホモのiPS細胞ストックを用いてHLA がマッチした患者への他家移植が考えられます。そのための拒絶反応の確認や他家移植のプロトコールなどの準備を進めた結果、2017年3 月に他家iPS細胞を用いた手術を実施しました。

また,視細胞の変性に対してはiPS 細胞由来の視細胞移植をマウスモデルによる動物でのproof of concept(POC:概念実証)がほぼ得られました。今後は視細胞移植についてもできるだけ早く臨床試験を開始したいと考えており、企業の協力を得て準備段階に入っています。

視細胞移植での効果が明らかになれば中枢神経の神経回路網再構築の最初の例となるだけでなく、RPE 細胞のシートや浮遊液,脈絡膜血管の治療と合わせて網膜変性疾患の様々な治療法が広がることと考えられます」(要旨)

■iPS細胞の作製から10年という節目で思うこと

   ~講演後の鼎談から

 

 両先生の講演のあと、今回の学会長を務められた福田正博・大阪府内科医会長を交え、ざっくばらんな鼎談の場が設けられました。

 

福田会長 iPS細胞の成功をアメリカの科学誌に発表されて今年で10年になりますが、次代を担う若い研究者についてどんな思いをお持ちですか?

山中先生 自分なりのビジョンを持って欲しいと思いますね。私自身は当初、現場での研究を通じて競争することを意識したのですが、臨床分野は全然違います。自らが考え、自らの取り組みが次につながる研究の世界を具体的なものとします。このことは多くの若い人が体験し、ぜひ実感して欲しいと思います。

高橋先生 私自身にについて言えば、眼科医としての仕事に集中していたせいか、若い時にはあまり何も考えていませんでした(笑)。子育てもありましたしね。ところが35歳の時だったかな、「神経幹細胞」による再生医療というものに初めて出会ったんです。これを知っているのは私だけかもしれない、そう受け止めした。それが個人的にはターニングポイントになったと思います。

福田会長 なるほど。医療従事者として現在を迎えるまでにはそれぞれにいろいろな個人的な契機があるんですね。

 山中先生も高橋先生もiPS細胞治療によって新しい医療の地平を切り拓かれたわけですが、現況と今後についてどうお考えですか。

山中先生 国民の皆さんからはiPS細胞による治療成果への関心も非常に高く、京都大学iPS細胞研究所だけでなく各大学でその取り組みは拡がっています。それは大いに歓迎すべきことなんですが、私がいま懸念しているのは次代を担うべき若い人たちに目立つ理系離れです。もともと子どもたちにとっては理科の実験などはもっとも楽しいものだったと思うのですが、受験科目として組み込まれた時点で急速に関心を失ってしまうんですね。これが続くと研究者の枯渇にもつながりかねません。そうなったら世界との太刀打ちは困難です。教える側の先生も大変だと思うのですが、小中学生にもっと楽しさを伝えて欲しいと思いますね。

高橋先生 山中先生のお話につながるのかどうかわかりませんが、小さくてもいいから自分だけにできる新しいことを見つけて欲しい。世界はそんな発見の積み重ねで少しずつ変わっていくんです。その取り組みを通じて自分だけにしかない領域は見つかります。そのために必要なのはなんでも一生懸命やることですね。

福田会長 これまでにない分野に踏み込んだお二人ならではのお言葉だったと思います。

 

大会前の10月5日にはiPS細胞を使った創薬によって希少難病とされる進行性骨化性繊維異形化症(FOP)への世界初の臨床試験が行われました。その後、山中所長はiPS細胞研究所のストック計画では2~3年後に50%を超える日本人にiPS細胞が使えるための準備ができる見通しになった、と発表しました。

昨年12月1日には目の病気の基礎研究からiPS細胞を使った先端治療、患者のメンタルケアまでに対応する全国初の専門病院、神戸市立神戸アイセンター病院が神戸医療産業都市にオープンし、高橋政代プロジェクトリーダーの研究室も開設されました。同病院にはiPS細胞を安定的に培養できる施設もあります。

現時点ではiPS細胞をめぐる動きや再生医療の方向も見定めることはできませんが、着実に一歩ずついい方向に近づいていることは確かだと思います。