【第3回】 「私の命を全て世界平和のために。」

 

聖路加国際病院 名誉院長 日野原 重明氏

103歳を超えてなお現役で活動を続ける聖路加国際病院名誉院長の日野原先生長寿の秘訣や、
音楽へかける情熱について語ります。 

4月21日 日野原氏自らのプロデュースによりザ・シンフォニー・ホールで行われた、「ベー・チェチョル コンサート」第一部での講演より(聞き手:ヴォイス・ファクトリイ代表 輪嶋東太郎)

――先生は、戦争も何度か経験されて。

日野原わたしは戦争の時、ちょうど結核をやったために、徴兵検査は4歳で丙種ということになったから、満州事変が起こったけれども、わたしは軍隊にとられないで。それだから聖路加国際病院に就職して、多くの若いお医者さんがみんな満州に行く中、わたしはその留守番で聖路加国際病院を守っていました。いよいよ戦争がひどくなって、丙種の人でもとられるということになったので、わたしは軍医を志願しました。海軍病院で4週間して、海軍少尉の位をもらったのですが、2、3日になってから終戦になりました。まあ、いろんなことがありましたねえ、戦争中には。

――104年の人生のなかには、わたしたちが想像もつかないようなことをたくさん歴史の証人としてご覧になったと思いますし、日本ではじめての終末ケアのホスピス、人の死を看取る、生きることと死ぬこと、それをずっと見続けていらっしゃっています。

日野原 「命ってどこにあると思いますか?」と、小学生に、「命の授業」で話しています。「いじめ」のある小学校から先生方が、小学生が「先生に来てほしい」というので。ずっと順番にね、これをやって。まだまだこれが続くのではないかと思います。

――「命ってどこにあると思う?」のことお聞かせください。

日野原 子供に命がどこにあるかというと、心臓をさわるのですよ。そうするとね、心臓は、酸素をもった血液と栄養をもった血液を全身に送るポンプなのです。命というものは目に見えないものだから、命というのは、まだ子供のうちは、自分のために考えて、自分のために自分の時間を使うということをやってもいいんだから、一生懸命勉強して、自分のために自分の時間を使いなさいというのです。きみたちが大人になったら、誰かのために君たちの持っている時間を使う日が来るのだから。そのときは、自分の使える時間を人のために使いなさい。これは命を、だれかのために使うということです。このことを話しますと、子供はよくわかって、子供の時は、命というものは自分が使える時間で、いよいよの時になったら人のために使う時間だと。命は時間であるっていうこと、やっぱりわかってくれる。すばらしいことだと思いますよ。

――すべて、ご自分の時間を世の中のため人のために、使っていらっしゃいますね。どんなお疲れのときにも、先生、にこにこ、にこにこしながら。 

日野原 新幹線のなかや飛行機のなかでね、しょっちゅう、そういうのがありますよ。103歳のことをね、みんな知ってるから、飛行機の乗務員の人が飛行機の上でわたしの誕生日のお祝いをしてくれるっていうこともあるのです。うれしいですよ。

――こんなにお忙しい方、年齢関係なくお元気なのはどうしてなのですか。 

日野原 生きがいを持っているということ。わたしたちがよく生きられるコツなのです。なにが自分の生きがいかっていうことを感じますと、自分自身が、いい着物を着たり、自分自身が楽しむのではなくてね、人のためになにか自分が尽くせるかということを心得てやってほしい。自分の時間を人のために使ってほしい。ぜひ、やってほしいと思います。
 自分の行為とかなにかで人が喜ぶ姿を、栄養として摂り入れているのだと思います。若く見えると言われるのがいちばんうれしい。若く見えるためにはね、やっぱり生きがいを感じないと。生きがいを感じるようなことを発見され、自分だけが生きてるのじゃないということをおぼえてほしいと思いますよ。

――先生はとにかく「世界平和」、「世界平和」、「愛」、「許すこと」、「愛」だって、ずっとおっしゃっておられますね。 

日野原 わたしは、子供に対して平和を教えたいという風なことがあります。「いのちの授業」というのを10年以上前から、わたしは、「いじめ」の小学校に行って「いのちの授業」をして。結局「いじめ」というのはお互いに許しあわないから起こるのだから。人間だから、主の祈りのある、キリスト教のお祈りにあるように、われわれが罪を犯すことを、そういうごとく、わたしたちの罪を許してくださいという、そういうことですね。子供たちが、「ぼくは許すからきみも許してくれよ」ということで、「いじめ」をなくする運動をずっとはじめて、もう二百何十回。そうして日本だけでなしに、外国に行ってわたしは「いじめ」をなくするための講演をしているのです。

――75歳以上にならないと会員になれない「新老人の会」のお話もなさってくだい。 

日野原 新老人の会というのは、2000年に発足しました。日本の政府は、厚生省は、「後期高齢者」というのを75歳以上にしたのですよ。後期高齢者という言い方は非常に失礼な言い方だから、この言い方をぼくは止めたいと。わたしは「新老人」という。75以上の人はシニアの会員、60以上の人はジュニアの会員、20歳(はたち)以上の人はサポーターの会員。20歳以上でも入れる、そういう会にしたのです。WEB会員もある。ぜひみなさん入ってください。そうして、その会に入ってお互いに愛し合うこと。またそれ以外に、新しいことをやる、やったことのないことをやる自分になる。“創(はじ)める”っていう“創作”の創。それとね、耐えること。東日本大震災や、いろんな事件、いろんなことがあるけれど耐えることの経験をした人でないと人の支えになることはできない。この三つです。
スローガンとして、新老人の会をやっていますからね。名古屋でも大阪でも、あちこちにあります。

――どうもありがとうございます。 

日野原 重明先生略歴
1937年京都帝国大学医学部卒業。同大学院(医学)修了。
1941年聖路加国際病院に内科医として赴任。
1951年米国エモリー大学留学。
1973年(財)ライフ・プランニング・センター設立。
1992年聖路加国際病院院長就任。
学校法人聖路加国際大学名誉理事長・名誉学長、聖路加国際病院名誉院長、一般財団法人聖路加財団名誉理事長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長など。