『最新鋭国際健康医療貢献艦船団』

 

 

科学・技術先進国、海国日本の必需品
『最新鋭国際健康医療貢献艦船団』


浅野 茂隆先生〈早稲田大学先端科学・健康医療融合研究機構 機構長、
災害復興のための先端環境医工科学研究所 所長、東京大学名誉教授〉に聞く


東日本大震災を機に、巨大災害に対応する、さまざまな積極的な取り組みが行われています。早稲田大学先端科学・健康医療融合研究機構 機構長、東京大学名誉教授、浅野茂隆先生らが進めておられる、「最新鋭国際健康医療貢献艦船団」についてお話をうかがいました。

超党派国会議員経験の深い官僚の協力に支えられて

――「最新鋭国際健康医療貢献艦船団」建設に意欲的に取り組んでおられますが。

浅野 災害時の適正なリスクコミュニケーションの確立とコミュニティ形成について、さまざまな対応が緊急にもとめられていますが、広域にわたる大災害では、陸路が遮断され医療機関そのものが被災することで多くの命を救えないことが大きな問題となります。
 これを解決するべく「最新鋭国際健康医療支援船計画」を国家プロジェクトとして採用して頂けるように提言しています。
 この様な提言は以前からもありましたが今回の大震災により、その建造推進の機運が急速に高まりました。また、グローバル化が急速に進む中でこれに適切に対応するためにアジアを中心とする国際協力体制の充実化をはかり、安全・ 安心を求める国際社会応えることのできる国際医療人の育成を行うことが緊急に求められています。

――「最新鋭国際健康医療支援船プロジェクト」推進の宣言をされたとお聞きしていますが。


浅野 昨年6月26日、早稲田大学大隈記念講堂小講堂で、大災害時において被災者を救援するための大型病院船建造に向け、病院船建造を推進する超党派議員連盟を迎えた公開シンポジウム「明日見ゆ、日本!明日見ゆ、早稲田!~最新鋭国際健康医療支援船プロジェクト~」を開催し、これを契機に多くの人たちが参加される有志の会を始動させました。
 この課題に熱心に取り組んでおられる民主、自民、公明の各党からなる超党派議員連盟の方々が参加し挨拶され、こうした医療支援船建造の必要性が長年話し合われてきたにもかかわらず、財政上の問題から見送られてきた経緯が説明され、「今度こそ実現しなければならない」などと決意を表明されました。
 このシンポジウムでは厚生官僚として阪神淡路大震災、中越大地震、スマトラ沖地震、四川大地震などで長年にわたって大災害の被災者対応にあたって貴重な意見を述べてこられた西山正徳氏や、天児慧・国際学術院教授(アジア太平洋研究科)、神戸大学大学院海事科学研究科長の小田啓二教授らが講演。災害の多いアジアの疾病動向や、国際政治の状況、人材育成の課題、災害支援における船舶の役割などについて報告されました。
 鎌田薫総長も挨拶し「大学は学問・研究を通じて被災者を救済し、我が国の復興に貢献していくべきだと考えている。病院船は東日本大震災以前から浅野先生が主張されてきた。震災後、その必要性は国民に強く認識されたと思う。このシンポジウムが契機となって、病院船建造が1歩でも2歩でも具体化につながっていくことを期待している」と話されました。
 私は早稲田大学「先端科学・健康医療融合研究機構」機構長として、「最新鋭国際健康医療貢献船に期待される多目的機能」と題して講演し、国際健康医療貢献船建造推進のための社会啓発、最新科学・技術融合による省エネ・高速船舶モデル・小型化・軽量化や情報通信化を目標とする船舶用医療設備・機器モデル、主として船舶内で活躍する国際医療人の育成への加担、これらの事業における市民参加による産学官連携の促進、などを掲げた宣言を披露しました。宣言は表1のとおりです。

自然災害多発のアジア
多数の原子力発電所が沿岸で活動


――最新鋭国際医療貢献船建造構想について、その背景、構想などについて詳しくお話いただけますか。

浅野 まず背景ですが、アジアは世界でもっとも多い自然災害多発地域で、この20年間でも、死者行方不明5000人以上の自然災害は、阪神・淡路大震災以来、インド洋地震・津波、インドネシア地震・火山噴火、中国・四川省地震などが発生しています。
 世界的にもアジアは、1978年から2008年までの統計で、発生件数37%、被災者数89%、死者数59%、被害額45%と、他の地域に比較しても、自然災害が格段に集中しており、その対応が遅れています。
 また日本での原子力発電所が問題になっていますが、アジアで原子力発電所があるのは、日本だけではありません。中国・韓国・ベトナムなどで、多数の原子力発電所が沿岸で稼働あるいは計画中であり、いつ東北地震・津波のような災害に見舞われても不思議はありません。

――これらの自然災害に対応する支援船が求められるのですね。

浅野 まず、日本の国内外の広域災害時に、陸路復旧までの第一期の救急医療では、海路を利用する迅速な数の被災者の診療・搬送活動が課題です。そのためには、長航路・最速船、多目的船舶の開発、さらに水上離着陸用航空機の利用によって、専門治療を要する被災者の、日本の医療機関への搬送が必要です。
 さらに平時においては、発展途上地域の医療レベル向上のための継続的活動が必要で、そのためには、離島など医療過疎地の巡回診療。国外中核病院への最新医療機器・医薬品の輸送、総合臨床医・救急医師の育成などが求められます。
 また、被災後の第二期以降や非被災時の保健・医療向上のために、国境を越える情報収集や健康被害物質拡散の防止とリスクアセスメントとマネジメントが課題となります。
 そのためには、疾患疫学情報収集と生活指導、環境健康被害物質の測定、予防薬の開発などが求められます。母港には我が国での治療を希望する人たちのための国際医療センターや国際都市にはアジア国際総合医科大学、アジア保健医療情報センターなどの設置も必要です。

関門・青函エリアを母港に、
神戸等の国際都市を医療国際基地に、
アジア国際総合医科大学、アジア保健医療情報センターの設置地域に


――国際医療船は、大変な使命をもっているのですね。医療船の内容、配置、航路、母港など具体的な構想が考えられているとお聞きしていますが。


浅野 母港は、地震・津波の危険性が歴史から見ても低く、日本国内だけでなく、北東・東南アジアにもアクセスの良いところに求めなければなりません。日本地図を見て下さい。そんな条件を備えたところは2カ所しかありません。それは関門・青函エリアでしょう。もう一つと言えば沖縄の港です。
 そして、その国際医療情報基地として、またアジア国際総合医科大学、アジア保健医療情報センターの設置地域として、国と自治体が全面支援して「医療産業都市」として積極的に活動している神戸などが適切と考えています。早稲田大学先端科学・健康医療融合研究機構の合同研究室の分室を「神戸医療産業都市」の「神戸臨床研究センター」に置いた大きな理由の一つです。

――大構想ですね。何隻くらいの船を考えておられますか。

浅野 遅くても2―3年以内には3隻、30年後には30隻もあっていいのではないでしょうか。将来的にはそれらの船はアジア共有になっているでしょう。

「王道」でなく、次代に希望を託する「正道」を一歩ずつ着実に歩んで

――これだけのことをすれば、その波及効果は医療だけにとどまらず、アジア、地球レベルの非常に大きなものになりますね。

浅野 医療の国際協力が確立すれば、戦争なんて起こることはなくなりますよね。日本が中心になってこれを推進すれば、「品格ある国」として、日本に対する国際評価も高まります。
 今の日本の医療は、診療・研究・教育、すべての面で行き詰まっているように感じます。しかも小手先では解決できない問題ばかりです。それらの問題が「国際健康医療貢献船」を積極的に推進することで、前向きに解決されていければいいなと思っています。
 権威者は、自分の名誉のために、自分が生きている間に、自分の手柄になることだけを問題として取り組みます。それは「王道」です。そうではなく「正道」を歩まなくてはなりません。30年後に30隻の「国際健康医療貢献船」が世界中を航海して、アジア・世界に戦争がなくなった頃には、私はこの世にいるかどうかわかりません。
 複雑社会あるいは価値多元社会ではどちらかといえば出口がわからないで行動する人たち、安易な道を選択する人たち、いわゆる王道を歩むことが多くなって若者に夢を与えることがないように思います。自分の名誉・権威を求める「王道」を歩むのでなく、残された時間はわずかですが、次世代の誰もが納得する理想として描けるような「正道」を歩みたいと考えています。

――ありがとうございました。

浅野 茂隆先生略歴
1968年 東京大学医学部医学科卒業。
1968年~1980 国立東京第一病院、東京大学医学部第三内科医員。
1978年~1980 ウオルター・エライザ・ホール医学研究所(メルボルン)客員教授。
1980年~1990 東京大学医科学研究所講師・助教授。
1990年~2004 東京大学医科学研究所教授。
1992年~1994 東京大学医学部第4内科教授。
1994年~2004 東京大学医科学研究所附属病院長。
2000~2004 東京大学医科学研究所先端医療研究センター長。
受賞 ベルツ賞、日経BP技術賞、科学技術文部大臣賞。