特別取材 シンガポール、先進医療クリニックからのレポート
地球上の多くの人々が、先進医療の恩恵を受けられることを目指して
「医療ツーリズム」(メディカルツーリズム)には、古くは湯治(温泉療法)、サナトリウム、メッカ巡礼も含まれる。
「移植ツーリズム」(トランスプラント・ツーリズム)との明確な区別を。
木内 哲也 先生
〈シンガポール マウントエリザベス・ノビーナ病院内 肝臓疾患・生体肝移植専門クリニック〉
日本では、低い自己負担で受けることのできるようになった「生体肝移植」。しかし世界の多くの国、特にアジアでは、経済的理由のためなどで、多くの人々が、先進医療の恩恵を受けることができません。一人でも多くの貧しいアジアの人々に先進医療を伝えたいと、大学教授を辞めて、シンガポールのクリニックで治療を続けておられる、木内哲也先生にうかがいました。
日本では20年間かかって
低い自己負担で生体肝移植が可能に
――木内先生は、日本でずっと肝移植の世界におられたのですか。
木内 日本で20年、肝移植の世界を最前線で経験して、海外の患者さんや短期間関わった患者さんを含めると、900人から1000人の患者さんの、肝移植治療をしてきました。
最初のうちは、健康保険が適用されなかったので、治療費のすべては患者さんの自己負担で、どうやって治療費を払おうかと心配する時代でした。「大学の研究費から出しましょうか」というと、「モルモット扱いか」と怒る人がいました。
そういったことを繰り返しながら20年やってきて、健康保険が適用されるようになり、子供に保険が使えるようになり、大人に使えるようになり、退院後の、免疫抑制剤の高額の3割負担も、数年前に還付制度ができ、日本で日本人が生体肝移植を受けるのは、低い自己負担でできるようになりました。
さらに、退院後の外来の費用も、身体障害者認定を受けることで、自己負担ゼロになりました。医療費増加の国家予算への影響が懸念されるほど完全にカバーされています。
また技術も20年間着実に育ちました。私自身が最初の100人ぐらいを診ていたときには、だいぶわかってきたと感じていましたが、やはり500人診ると、全然見えなかったものが見えてきます。
10年前なら亡くなっていた子どもの患者さんでも、「この技術があったら助けられたのに」と言える時代になってきました。
物事を始めていくときの胸躍る気持ちを、
もう一度味わいたいと大学を辞めてシンガポールに
――日本では肝移植は家族・血族でないとできないことになっていますが、世界を見ると、国によってシステムの違いが大きいと聞いていますが。
木内 世界には二つの流れがあります。
一つの流れは、ヨーロッパを中心とした家族・血族でないと認めない考えで、「親子・兄弟しかだめ、夫婦もだめ」「親子しかだめ」と、法的に決めている国もあります。日本もその一つです。
もう一つの流れは、血族などと限定をしないで、提供者が「自由意志で、この人にあげたいんだ」という気持ちを、きちっと評価できれば、「血縁でなくても、籍の入っていない恋人、友だちでもいい」と言う考え方です。
後者は非常に審査が大変なので、ほとんどの社会や倫理委員会は、後者の方法をとりたがりません。シンガポールは、どちらかというと後者の制度です。血族関係などの要求はゆるいけれども、その審査のプロセスをかなり厳しくしています。
――どのように審査するのですか。
木内 保健省に所属した倫理委員会の審査を受けて、例えば友人であれば、長年にわたって一緒に写ってる写真を全部調査するなどして、その人のライフ・ヒストリーをずっと追っていくなど、大変な作業です。問題に真っ向から取り組んでいます。
最近、それまで面識のなかった人が、話を聞いて同情して、「あげたい」といって認可を受け実施されました。シンガポールでも初めてのケースで、それ以後の、あげた人、もらった人の生涯をずっと追跡して、未解決の問題として結論を出す必要があります。
そういう覚悟ができているという点では、ある意味日本よりも進んでいるという印象を持ちます。
――脳死の肝移植ができて生体移植が必要のない国、貧困のために国民のほとんどが肝移植医療を受けられない国など、さまざまですね。
木内 そうです。脳死の肝臓移植が整っている国では、どんどん生体肝移植が減っていますし、貧困や医療制度が発達していないために一般的な高度医療でも受けられない人も非常に多くおられます。
その中で、アジアは生体肝移植にまだ依存しなければいけない状況があって、しかも貧困と保険システムの未発達によって、多くの人が先進医療の恩恵にあずかれません。私達は、技術だけでなく、システムづくりなど、自分たちが日本でやってきたことを生かして、アジアの貧しい人々にも先進医療の恩恵にあずかっていただきたいと、頑張っています。
日本では、移植医療を志す医師も増えて、患者数より肝臓移植医の数のほうが多いくらいになりました。
私自身がシンガポールに来た大きな要因の一つは、20年前の、物事を始めていくときの挑戦、いろいろ切り開いていたときの胸躍る気持ちを、もう一度味わいたいと思ったからです。
――次回へつづく。
木内 哲也 先生略歴
1956年生まれ。
京都大学医学部卒。
京都大学医学部付属病院移植外科助教授、
名古屋大学医学部附属病院移植外科教授を経て、現職。